oreno_michiyuki

自叙伝を書き記したく始めました(2022年10月~)。自叙伝と知的生産による社会や歴史の弁証法的理解が目標です。コメントも是非お願いします。 ライフワークの「おうちご飯」もどしどし載せます!

雑記(その3)

「ブーム」や「流行」があらゆるメディアで作り出されて、そこに消費者が押し寄せる。消費者はわかりにやすいものでないとダメなので、「女性人気」「女性一人でも入りやすい」などといったかたちであらかじめ価値を規定し、享受するべき感性を付与されてい…

雑記(その2)

先日嘆息ばかりする世の中、ということを少し書いたが、「絶対的に良いもの」があるはずだという思考でいくと、嘆息は必然的なものとなってしまう。 特に政治の分野は常にありうべき可能性からの選択から成り立っているにもかかわらず、最初から目標が固定さ…

雑記(その1)

暗いニュースが世の中に溢れかえっているが、どうも冷めた目でしか見れない。円安、物価高騰、増税、戦争、周辺国との敵対など挙げればきりがないが、よくも毎日毎日同じような暗いニュースを報じ続けられるものだと少し関心すらしてしまう。あたかも、嘆く…

自叙伝-幼少期 その5(No.8)

今回の話は何も幼少期に限るものではないが―全編通して、段階に分けて記述することはどちらかというと便宜上のもので、それほど大きな意味があるわけではない―、「言葉」による伝達(教説、説教、教育、意思疎通など)にいかほどの役割があるのかを考えてみ…

自叙伝-幼少期 その4(No.7)  

「他人」の経験から学ぶ難しさを「未来に学ぶ」ことに転換することについて検討してみる。なお、本稿は大澤真幸の『夢よりも深い覚醒へ』に則る部分が大きい。 未来という時点はその不確実性が本質にあり、ゆえに未来の自分も未来の他者も論理的にはどちらも…

自叙伝-幼少期 その3(No.6)

私は幼少のころから注意力散漫なところがあり、よく怪我をしたし、交差点で自動車と衝突事故を起こしたこともある(交差点を自転車で一時停止もせずに突っ込んだ私の責任)。また、両親の言うところによると、出かければすぐに迷子になったそうだし、電車と…

自叙伝-幼少期 その2(No.5)

序文で母親が割合教育に熱心な方で、父親も塾の講師であることに触れた。どちらかというと小さいころからお勉強一辺倒になるかと想像されるかもしれないが、意外とそうでもなく、テレビゲームも制限付きとはいえ比較的自由にやらせてもらったし、スポーツや…

自叙伝―幼少期 その1(No.4)

幼少期の出来事は単純に”思い出深い”もので、いい年齢になってきて大変懐かしむことが多くなってきた。事実の羅列になりそうで特別な難しさも感じ、知的生産とは関係ないこともあるかもしれないが、自分勝手に書き記していこうと思う。 まず思い出されるのは…

自叙伝―序文 その3(No.3)

まず自分の来歴を簡単にふりかえってみたい。 平成5年、大阪市、父親は塾の講師、母親は専業主婦という家庭で生まれた。平成5年というと「失われた10年(今時点では30年)」と言われた不況の真っただ中であるが、当然そんな雰囲気を特に覚えているわけでは…

自叙伝―序文 その2(No.2)

自叙伝を書くことに決めたものの、そもそも自叙伝というものをほとんど読んだこともなく、かろうじて本棚に『フランクリン自伝』と『福翁自伝』があるくらいのものなので、いささか悩むのであるが、あくまで我流で好奇心の赴くままに雑文を連ねていきたいと…

自叙伝―序文 その1(No.1)

コロナ禍以降、自分がどう生きるかということに加えて、より普遍的なことに関心が強くなってきた。言語の役割・効果、多様性の意味、メディアの価値、原理主義と多文化主義、差別、民主主義の限界、国民主権などなど。 関心が強くなる一方、憤懣やるかたない…