oreno_michiyuki

自叙伝を書き記したく始めました(2022年10月~)。自叙伝と知的生産による社会や歴史の弁証法的理解が目標です。コメントも是非お願いします。 ライフワークの「おうちご飯」もどしどし載せます!

自叙伝―序文 その1(No.1)

コロナ禍以降、自分がどう生きるかということに加えて、より普遍的なことに関心が強くなってきた。言語の役割・効果、多様性の意味、メディアの価値、原理主義多文化主義、差別、民主主義の限界、国民主権などなど。

関心が強くなる一方、憤懣やるかたないことが巷に溢れかえっており、さすがにそろそろ頭の整理をしていかないといけないと一念発起し、ここに雑文を記していくこととした。また、ただ自分の理解を整然とさせたかっただけではなく、自身の「知的生産」を何かしらの形で実現させたかった思いもある。結果に関わらず自分の中で消化して腑に落ちることでこれまでは十分に満たされていたのであるが、「知的生産」とはそもそも外部への公表をその意味として含むのではないかと考えたことも、愚見を披露していく契機となった。

もっとも、ただ社会で起こっていることに脊髄反射しているだけでは、それほど自分にとって魅力的でなく、うまく継続させていける自信がない。単なる愚痴こぼしのような、まさしく愚かな非生産的井戸端会議をしてしまうことは全く望んでいない。

そこで、より具体的かつ真摯に思考するために、なるべくこれまでの自分の生活と関連づけて考えていくことができればよいと思っている。来年30歳を迎えることもあり、これまでの人生を一度丁寧に振り返ってみたい。自分のちょっとした過去の行動に対してもまだまだ心的に決着をつけられていないことが多いのである。つまり、いわば自叙伝的に進めてみたいのである。

知的生産と自叙伝を混合させて、まだ見ぬ相乗効果を得られればこれほど有益なことはなく、それが弁証法的に30代以降の生活に具体的に寄与すればよかろうし、むしろそれを自分で狙う姿勢も持つべきであろう。

欲しいのは毒にも薬にもならない「情報」ではなく、道標としての普遍的「知識」だ。